ワインを愛する者として、この「飲む歴史遺産」に敬意を払い、
真摯に味わうべきだと常に考えています。
現代では考えれれないほどの犠牲の上に造られたワイン達。
情報が今のように瞬時に広がらなかった時代は、ただひたすらに
休みなく朝から晩まで、害虫(害鳥)、雑草駆除などぶどうの樹の世話を
しなくてはならず、クリスマスを過ぎても翌年の為に畑に出て作業を
怠らなかったところのワインは50年を過ぎた今でも色褪せることなく
とても輝いています。
1980年代FAXが普及するころまで、ワインの生産者達は決まった取引先にしか
自分たちのワインを販売できずにいました。しかしこのFAXの出現が劇的に
市場流通を変えてしまい、それと共に仕入れ買い付けのプロの存在も
薄れてきました。どこの畑の物が優秀で、ブレンドするとどうなるか等
生産者が知りえなかったノウハウが静かに消えてゆきました。
そのころのネゴシアン物で「はずれ」が少ないのはその為です。
地域にもよりますが、1985年くらいまでは伝統的な造り方や考えを持った
生産者達が現役で活躍出来た時代で、その後相続が進み畑を手放したり
温暖化の波が押し寄せ、メリハリがきいて「香りだけで酔える」ような
銘酒は少なくなってきました。
今までのワイン生産者達の多くは自家取引を始め、一番のフランスワインの
顧客であるアメリカ人向けのワイン造りに転向し始めたのは歴史の通りです。
更に90年代後半からアメリカのあの点数で有名な人が注目されると
ワイン市場はさらに激変してしまいました。
そうです、「料理に合わないワイン」の登場です。
私が愛してやまないワイン達はそんな流れにさらされる前の、そして現在よりも
理想の気温に近かった時代(気候が冷涼で朝晩の温度差も十分)の物です。
50年前の生産者やネゴシアン達が、この極東の地方都市「仙台」で、
これらのワインを揃え、そしてそのころは存在しなかった最高の「ロブマイヤー」
グラスで料理と共に楽しんでいることを知ったらどんな顔をするんでしょうか?
そんな思いを胸に今週末のワイン会の準備をしています。